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古墳めぐりEC

古墳めぐりで古代の京都に思いを馳せる

いま、古墳めぐりが静かなブームを迎えています。古墳女子という言葉も生み出されるほど、ファンが増えています。京都市内の古墳を訪れ、古代の歴史を感じてみましょう。

太秦の地名の由来、秦氏を知ろう

5世紀前後、京都には秦氏という渡来系民族が住み、豪族として一帯を治めていました。その秦氏に由来する名を持つのが太秦。蚕ノ社や広隆寺など、秦氏にまつわる社寺が多く残っています。そして、秦氏一族を葬った古墳も点在。中でも石室の様子がよく分かるのが蛇塚古墳です。規模も大きく、秦氏の勢力を感じさせます。

蛇塚古墳1
嵐電の帷子ノ辻駅から徒歩約10分で、住宅街に囲まれた蛇塚古墳にたどり着く。横穴式前方後円墳だが、墳丘の封土は早くに失われ、石室だけが残っている。京都府下最大の石室は、幅は奈良の石舞台古墳よりも広く、床面積は全国で4番目の規模とされる。
蛇塚古墳2
柵に囲まれている蛇塚古墳は、外からでも石室内を覗うことができる。石室内に蛇が多く生息していたことからその名が付いたという。7世紀頃に作られた秦氏首長の墓だと推定されている。
稲荷神の祀られる天塚古墳

太秦の三菱自動車工業の北側にある天塚古墳は、6世紀前半に作られたと推定される横穴式前方後円墳。くびれが2カ所あり、石室が2室あるという特徴的な形をしています。銅鏡や勾玉など約400点の副葬品が発掘され、秦氏一族の墓であると推定される天塚古墳。現在は石室内に稲荷神が祀られています。

天塚古墳1
入り組んだ道の奥にある天塚古墳は、一見すれば稲荷神の鎮守の森のようだが、古墳としての形をよく留めている。
天塚古墳2
古墳の周囲を取り囲むように参道が設けられている。頂上には小さな祠が祀られている。
古墳群を擁する双ヶ岡

仁和寺の南から法金剛院の近辺にかけて、小高い山が3つ並んだように見える双ヶ岡。古くから知られた山で、貴族の山荘が建てられたり、天皇の行幸地になったりしました。この双ヶ岡には6~7世紀に作られたとされる大小の円墳が24基群集していることから、双ヶ岡古墳群と呼ばれています。

双ヶ岡古墳群1
双ヶ岡の3つの丘は、北から順に一の丘、二の丘、三の丘と呼ばれる。一の丘頂上付近にある、豪族首長級の墓とされる1号墳が最大。案内板が立つ一の丘頂上はベンチも備えた広場になっており、憩いの場になっている。
双ヶ岡古墳群2
一の丘頂上からの眺望。はるか天王山まで見渡すことができる。
双ヶ岡古墳群3
一の丘にあるのが首長の墓とされているのに対し、三の丘に群集する小規模な古墳群は、支配階級ではなく様々な階層の人々が葬られたと考えられている。

基本情報

  • 施設名
    蛇塚古墳
    住所
    京都市右京区太秦面影町
  • 施設名
    天塚古墳
    住所
    京都市右京区太秦松本町
  • 施設名
    双ヶ岡
    住所
    京都市右京区御室双岡町

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。