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御土居の遺跡を訪ねるEC

京の都を守った御土居の遺跡を訪ねる

豊臣秀吉が太政大臣就任後に取り組んだ、京都の町の整備。その一環として、都を取り囲むように土塁(御土居)を築きました。現存する御土居を訪ね、その規模と歴史を感じてみましょう。

都を守る土居堀

聚楽第の造営に始まり、大名屋敷町や公家屋敷町の建築、寺町の形成など、天下を取った秀吉が行った建築・土木工事は数知れず。その一つが土居堀(御土居)の建築です。外敵の侵入や河川の氾濫から都を守る目的で作られた土居堀は、鴨川の堤防の整備や市街地の発展に伴い、江戸期以降に取り壊されていく運命をたどります。現在は北西部を中心にわずかに形を留めるのみ。そのうち9カ所が国の史跡指定を受けています。

御土居1
当時は外側に堀を巡らせ、内側に土塁を築き、土塁上に竹を植えたと考えられている。最北部は上賀茂神社の南、最南部は九条通の南に及んだ。御土居の北東角に当たる部分に土盛が残り、史跡の指定を受けている。
御土居2
玄琢下のバス停近くの御土居は保存状態が最も良いとされ、約250mにわたって現存している。外側からしか見学できないが、堀と土塁の構造がよく分かる貴重なものだ。
御土居3
北野天満宮の北側、紙屋川の近くに残る御土居は、台形の土塁の形状が史跡指定地の中で最もよく分かる。道路脇に祀られる石仏は、御土居から出土したもの。
御土居の名残を探そう

全長およそ22.5キロメートルに及んだとされる土居堀は、江戸時代に御土居と呼ばれるようになりました。それ以降、民衆に深く浸透した御土居の名称は現在まで受け継がれ、地名や通り名にも使われています。「御土居」というキーワードを手がかりに、御土居の名残を探してみましょう。

御土居4
大宮、鷹峯、紫野などの御土居の北西部に当たる地域には、土居町という地名が見られる。紫野西土居町には、住宅街の一角に御土居の土塁が残っている。
御土居5
北野天満宮の境内西側には御土居が現存し、新緑や紅葉のシーズンに「御土居のもみじ」として公開される。土塁構築時に既に植えられていたという、樹齢600年を超すケヤキの巨木は圧巻のスケール。
御土居6
西大路通の一筋東側には西土居通の名が付く道もあり、姿はなくとも御土居の存在を伝えている。この西土居通に面する市五郎稲荷神社は、社殿裏の御土居そのものがご神体。鳥居が並ぶ参道の部分は堀の跡とされている。
御土居のスケールを実感しよう

御土居の規模を感じるには、実際に上ってみたり歩いてみたりするのが一番。御土居そのものに登れるところもあれば、独特の地形で御土居の大きさや高さを知ることができるところもあります。なぜこんなところに崖が?と思うような地形や不自然な道路の起伏も、御土居の痕跡と聞けば納得。史跡の御土居には公園が整備され、憩いの場となっている所もあるので、歴史を感じながらゆっくり休憩するのもいいですね。

御土居7
紫式部ゆかりの寺、盧山寺の墓地東側に、約50mにわたり御土居が残る。北端から土塁に上って見学することも可能。また、近くの京都府立医科大学図書館の、河原町通に面した入り口には、復元された御土居がある。
御土居8
源光庵や光悦寺のある鷹峯から南方向にかけて、御土居がところどころ残っている。鷹峯旧土居町の御土居はフェンスに囲まれているが、向かいの和菓子店「光悦堂」で鍵を借りて、中に入ることができる。
御土居9
鷹峯旧土居町には、公園として整備された御土居もある。頂上部にはベンチも置かれ、御土居の高さを体感することができる。
御土居10
日本で一番長い鉄道ホームとして知られる、京都駅の0番・30番線。このホームは御土居の上にある。京都の洛中と洛外を分けた御土居が京都の玄関口になっているのは、不思議な巡り合わせだ。
施設名 史跡御土居
住所 京都市北区竹上長目町・上堀川町
施設名 史跡御土居
住所 京都市北区大宮土居町
施設名 史跡御土居
住所 京都市北区平野鳥居前町
施設名 史跡御土居
住所 京都市北区紫野西土居町
施設名 史跡御土居(北野天満宮境内)
住所 京都市上京区馬喰町
施設名 史跡御土居(市五郎稲荷神社)
住所 京都市中京区西ノ京原町47
施設名 史跡御土居(盧山寺境内)
住所 京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町
施設名 史跡御土居
住所 京都市北区鷹峯旧土居町2
施設名 史跡御土居
住所 京都市北区鷹峯旧土居町3
施設名 京都駅
住所 京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。