平安京の内裏は、現在でいうと南北は二条通から一条通、東西は大宮通から御前通にわたって広がっていたと考えられています。『大鏡』のあるエピソードに沿って、平安京の内裏を歩いてみましょう。
平安宮で肝試し
『大鏡』は、雲林院の菩提講で出会った190歳の大宅世継と180歳の夏山繁樹が、それぞれの記憶を元に、宮廷であった出来事を語り合うという形で記された歴史物語。中でも、古典の教科書でも取り上げられる、肝試しのエピソードは有名です。この肝試しで、藤原道長、道隆、道兼の3兄弟が訪れたスポットを巡ってみましょう。
肝試しのスタート地点は清涼殿の南庇にあった殿上の間。殿上の間は、天皇が日中を過ごす場であり、貴族の詰め所であった。平安宮跡地には案内板が設置されていて、現在地が当時のどこに当たるのか知ることができる。
逃げ帰った二人が見たものは
道長、道隆、道兼は、ある雨の夜に花山天皇から肝試しに行くように命じられます。行き先は、道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿。やる気満々の道長に対し、道隆と道兼はしぶしぶ出発。道隆は途中の宴の松原で怪しげな声を聞き、道兼は仁寿殿の東側で軒の高さほどある人のようなものを見て、それぞれ逃げ帰りました。現在では物の怪が出そうな雰囲気はありませんが、当時の夜は真っ暗で、恐ろしい雰囲気だったのでしょう。
道隆が行くように命じられた豊楽院は、発掘調査で、豊楽殿北西部と北側の清暑堂の建物や、両堂をつなぐ北廊の跡が発見されている。
道隆が怪しげな声を聞いた宴の松原は、物の怪がいると恐れられていた。広大な松林で、本来は内裏を移転する際の土地であったとされ、名称から宴が催された地とも考えられている。
道兼が人影らしきものを見た仁寿殿は、承香殿と紫宸殿の間にある。この界隈は風情のある町家が建ち並び、平安京の内裏跡を示す案内板も多いので、散策にもってこいの場所だ。
道長が訪れた大極殿
『大鏡』で剛胆な者として讃えられる道長。恐れることなく殿上の間を出て、昭慶門を通って大極殿へ行き、高御座の柱を削って証拠として持ち帰りました。大極殿は、現在の千本丸太町周辺。大きな石碑があるほか、歩道のタイルや縁石に門や建物の跡地が示されています。平安宮跡地は一見普通の住宅街ですが、平安貴族たちが働き、時には肝試しをしていたと想像しながら散策すれば、一風変わった町歩きが楽しめそうです。
道長が通ったという昭慶門を示す縁石。歩道の舗装には、それぞれの遺跡の境界を示すラインがデザインされている。
千本丸太町の北行バス停近くにある内野児童公園には、大極殿の跡を示す大きな石碑がある。大極殿についての説明板も設置されていて、界隈の平安宮跡地について知ることができる。
施設名 |
平安宮内裏跡(清涼殿) |
住所 |
京都市上京区土屋町通出水下る東入南側 |
施設名 |
史跡平安宮豊楽院跡 |
住所 |
京都市中京区聚楽廻西町 |
施設名 |
宴の松原 |
住所 |
京都市上京区出水通六軒町角 |
施設名 |
平安宮内裏跡(承香殿) |
住所 |
京都市上京区浄福寺通出水下ル西入北側 |
施設名 |
大極殿跡(昭慶門) |
住所 |
京都市上京区千本通丸太町上ル西側 |
施設名 |
大極殿遺址 |
住所 |
京都市上京区千本通丸太町上ル西側(内野児童公園内) |