今から約400年前、日本では宣教師によりキリスト教が布教され、時の権力者がキリスト教を弾圧していました。京都に残るキリシタンの遺跡を訪ね、歴史を学んでみませんか。
キリスト教を布教する南蛮寺と礼拝堂
ザビエルによって日本にキリスト教が伝わったのは天文18年(1549年)。京都にもキリスト教の礼拝堂や、教会にあたる南蛮寺が建立されました。織田信長の保護によりキリスト教は広まっていきますが、豊臣秀吉のバテレン追放令や徳川幕府の禁教令によって礼拝堂や南蛮寺は破却され、今は痕跡を留めるのみです。
殉教の悲しい歴史
キリスト教が弾圧される中でも、布教の勢いは止まらず、京都にも多くの信者が存在しました。しかし禁教令に伴い多くの信者が捕らえられ、棄教を拒み処刑されました。バテレン追放令により宣教師ら26人が京都から長崎へ送られ、処刑された「二十六聖人の殉教」は歴史的に有名です。京都でも元和5年(1619年)に60人以上が火あぶりに。これは京都における最大のキリシタン弾圧とされています。
キリシタン信仰の遺物
キリシタン遺物としてあげられるのが、キリシタン墓碑。京都市内で発見された墓碑はほとんどが江戸初期の慶長年間のもので、京都国立博物館などで保管されています。また、織部灯籠に彫られた像をマリア像や宣教師像に見立ててキリシタン灯籠と呼んだものも、桂離宮や大徳寺、北野天満宮で見ることができます。あくまで言い伝えの域を出ない墓碑や灯籠もありますが、弾圧下の敬虔な信仰の姿を思い起こさせる遺物です。