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下り松の決闘EC

一乗寺?一条?下り松の決闘

剣豪・宮本武蔵と、剣術道場の吉岡一門が激戦を繰り広げたとされる、下り松の決闘。映画にもなり、武蔵ファンならずとも知っている有名な戦いの舞台を訪ねてみましょう。

行き交う旅人を見守る一乗寺下り松

京から近江へ向かう街道の要所に、旅人の目印として植え継がれている一乗寺下り松。数多の旅人が、この松の下を行き交ってきました。現在も、詩仙堂へ至る道と曼殊院へ至る道が分かれる交差点で、四代目とされる下り松が青々と枝葉を茂らせ、往来を見守っています。

一乗寺下り松
この界隈で決闘が行われたことを示す石碑が建つ。
一乗寺で武蔵ゆかりの地めぐり

一乗寺には、武蔵にゆかりのある地が点在。武蔵が吉岡一門との戦いの前に訪れたと伝わる八大神社には、凛々しい武蔵の像が構え、枯死した初代下り松の幹が展示されています。八大神社からさらに山道を登った先にある狸谷山不動院には、武蔵が修行したと伝わる滝があります。

武蔵ゆかりの地 - 八大神社1
「我神仏を尊んで神仏を恃まず」八大神社へ参拝しようとした武蔵だったが、意を決して祈ることなく神社を後にした―下り松の決闘の逸話でも人気のくだり。
武蔵ゆかりの地 - 八大神社2
宮本武蔵のブロンズ像と下り松。初代下り松は昭和20年頃に枯死したそうだ。
武蔵ゆかりの地 - 狸谷山不動院
武蔵は吉岡一門との決戦に備え、狸谷山不動院の滝に打たれ修行したという。このとき武蔵は倒すべきは敵ではなく、己の恐怖心だと悟ったとされる。
吉岡道場は一乗寺ではなく一条にあった?

町道場である吉岡道場が、市街地から遠く離れた一乗寺にあるのは不自然ではないか―。実は、下り松の決闘は一乗寺ではなく、一条だったという説があります。この説を裏付けるのが、堀川一条を東に入った所にある石碑。吉岡家の邸宅があったと伝わる地であることを示しています。

一条下り松 - 石碑
トタンに囲まれて見づらいが、石碑には「諸侯屋敷」「一条下り松」と刻まれている。一条下り松は吉岡道場の裏庭にあったとされ、この界隈に道場があったことを石碑が示している。
一条下り松=北野下り松という説

「この地こそ、下り松の決闘の地だ」と名乗りを上げる、一条通七本松交差点南の広場にある立て札。この立て札によると、界隈が北野下り松と呼ばれた地であり、決闘が行われた下り松は北野下り松なのだとか。諸説ある下り松、全て訪れて彼らの戦いに思いをはせるのもいいですね。

一条下り松 - 北野下り松
江戸中期の国学者・柏崎永以の『古老茶話』に決闘の地は北野七本松であるとあり、江戸初期の地誌『雍州府志』に北野七本松は下り松と呼ぶという記述がある。北野七本松は一条下り松で、決闘の行われた地であるという説はこれらを根拠とする。

基本情報

  • 施設名
    一乗寺下り松
    住所
    京都市左京区一乗寺花ノ木町
  • 寺社名
    八大神社
    住所
    京都市左京区一乗寺松原町1
    電話番号
    075-781-9076
    URL
    http://www.hatidai-jinja.com/
  • 寺社名
    狸谷山不動院
    住所
    京都市左京区一乗寺松原町6
    電話番号
    075-722-0025
    URL
    http://www.tanukidani.com
  • 施設名
    吉岡道場跡(一条下り松石碑)
    住所
    京都市上京区一条通堀川東入ル北側
  • 施設名
    北野下り松
    住所
    京都市上京区七本松通一条下ル

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。