市内より3~5度は涼しいという高雄の青もみじは、くっきりと濃さを増しています。清滝川の絶え間なく流れる音、川からの冷気、野鳥や蝉の声。弘法大師空海も過ごした高雄山神護寺の夏を五感で感じてみましょう。
緑に包まれた石段の参道をひたすら上る
愛宕山山系の高雄山中腹にある神護寺。その前身は、平安遷都に尽力した和気清麻呂の氏寺であった高雄山寺です。のちに天台宗の開祖となる最澄は和気氏に招かれ、法華経の講演を高雄山寺で行いました。また真言密教を学んで唐から帰国した空海は、809年から14年間住職として真言宗の基礎を築きました。
最澄と空海、ゆかりの名刹
平安時代後半、神護寺は火事などで堂塔のほとんどを失い、本尊の薬師如来が雨ざらしとなっていました。この荒廃ぶりに心を痛めた文覚(もんがく)上人は、後白河法皇に再興のための荘園寄進を強引に迫ります。法王の怒りを買って伊豆に流罪となった文覚上人は源頼朝に出会い、平家追討を勧めたと伝わっています。
その後、後白河法皇や源頼朝の援助で、神護寺の再興が実現。後白河法皇自身も御幸し、本尊の薬師如来立像を拝しました。神護寺では、教科書で誰もが目にする「伝源頼朝像」をはじめ平安・鎌倉時代の仏像や絵画などを所蔵し、毎年5月の「宝物虫払行事」特別拝観で順次公開しています。
梵鐘の表面に鋳出された銘文は、橘広相が序詞を作り、菅原道真の父是善が銘を選び、藤原敏行が書いたもの。当代一流の3人の文化人の手によることから、古来「三絶の鐘」と称されました。
「銘の神護寺」は、「形の平等院」「音の三井寺」と並んで日本三名鐘のひとつとされています。
かわら投げ
古典落語「愛宕山」などに登場するかわら投げは、神護寺が発祥とされています。境内の奥にある地蔵院前の広場から、清滝川の錦雲渓に向かって「かわらけ」と呼ばれる素焼きの皿を投げて厄除けを祈願しましょう。深い緑の谷に吸い込まれていく皿を見送ると、日ごろの不安や不満がちっぽけなものに思われてきました。