見る 見る一覧

阿弥陀寺1

織田信長が眠る寺・阿弥陀寺

戦国の風雲児、織田信長が眠るとされる地は数多くあり、上京区の阿弥陀寺もその一つ。信長の命日である6月2日には法要が営まれ、多くの歴史ファンが訪れ信長を追悼しました。

織田信長ゆかりの寺

寺院が立ち並ぶ寺町通に門を構える阿弥陀寺は、蓮台山の号を持つ浄土宗の寺院。信長とゆかりの深い清玉上人により開かれた寺院で、信長をはじめ、正親町(おおぎまち)天皇や多くの武将らが帰依しました。信長らの尽力により、今出川大宮付近に13の塔頭を擁する大伽藍が建設されましたが、後に豊臣秀吉の命令により現在地に移転しました。

阿弥陀寺1
今出川通から寺町通を北上すると、阿弥陀寺の門が右手に見えてくる。
阿弥陀寺2
阿弥陀寺の住職であった幻阿蝶夢が芭蕉復興運動の中核を担ったことから、境内には芭蕉の句碑「春立つや 新年ふるき 米五升」が建っている。
阿弥陀寺3
阿弥陀寺の御朱印は「阿弥陀如来」と「信長公本廟」の2種ある。6月2日は、信長忌の日付印が押される。
商品名:「御朱印」各500円

信長の一族や家臣が眠る

阿弥陀寺開山の清玉上人は、織田家と深い縁を持ち、信長とは別懇の間柄だったそうです。寺伝によると、本能寺の変が起こった時に清玉上人は僧徒を引き連れ駆け付けましたが、信長は既に亡くなっていたため、その場で火葬し遺骨を法衣に包んで持ち帰ったとされています。後に現在地に移転する際に信長をはじめとする120余名の墓も移したと伝わり、大正6年に行われた宮内庁の調査で織田信長の廟所であると認められました。

阿弥陀寺4
右側が織田信長、左側が信長の息子・信忠の墓。
阿弥陀寺5
信長の墓の裏には、本能寺の変の戦死者を弔う供養塔や、信長の息子・信貞の墓などが並ぶ。
阿弥陀寺6
本能寺の変で信長と共に命を落とした森蘭丸らの墓もある。

信長の命日に営まれる法要「信長忌」

本能寺の変が起こった6月2日には、信長忌が営まれました。10時から営まれた法要では、僧侶による読経があり、参拝者らは信長の人生に思いをはせながら焼香をして、信長を追悼。11時からは住職による講話が行われました。また、午後からは展示されている寺宝の解説もあり、通常は見ることのできない数々の宝物を目当てに訪れた多くの参拝者で、普段は静かな境内が、この日は大いに賑わいました。

阿弥陀寺7
信長忌の当日は、普段は非公開の本堂が開放され、織田信長の木像や寺宝が拝観できる。
阿弥陀寺8
多くの歴史ファンが訪れ、本堂や信長の墓前で焼香し手を合わせた。

基本情報

  • 寺社名
    阿弥陀寺
    住所
    京都市上京区鶴山町14
    電話番号
    075-231-3538

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。