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新熊野神社 - 左義長神事1

古の宮中行事を伝える新熊野神社の左義長神事

地域によって「どんど」「とんど」など様々な呼び名のある左義長は、小正月に行われる火祭りの行事。後白河法皇により創建された新熊野神社で、宮中の正月行事に由来する左義長神事が行われました。

後白河法皇創建の古社

新熊野神社の創建は永暦元年(1160)。後白河法皇が平清盛親子に命じて法住寺殿を造営した折に、その鎮守社として創建されました。当時は熊野信仰が盛んでしたが、熊野への参詣は簡単ではないことから、新熊野神社が京都の別宮として勧請され、長く京都の熊野信仰の中心地となったそうです。

新熊野神社1
熊野牟須美大神(くまのむすびのおおかみ=イザナミノミコト)を祀る本殿。社名の「新熊野」は「いまくまの」と読む。紀州の古い熊野に対し、京の新しい熊野という意味。
新熊野神社2
お腹の神様として信仰を集める、後白河法皇が手植えしたと伝わる「影向の大樟(ようごうのおおくすのき)」。樹齢900年と言われ、幹の太さは圧巻。
新熊野神社 - 御朱印
新熊野神社の御朱印は4種類。右の御朱印のカラス文字「新熊野社」は神仏習合時代、左の「新熊野神社」は現在の呼称。2枚以上お願いすると、椥(なぎ)の葉が入った八咫烏(やたがらす)の栞が授与される。
商品名:「御朱印」各300円

宮中行事に基づく左義長神事

左義長の起源は、平安時代から行われていた小正月の宮中行事と言われています。清涼殿の東庭に立てた青竹に、ホッケーのような遊びで使う毬杖(ぎっちょう)3本を結び、扇子や短冊を飾ったものを、陰陽師が焼いて吉凶を占った「三毬杖(さぎちょう)」に由来するそうです。新熊野神社の左義長神事では、神主が神事の合間に由来や祝詞の意味、作法などを解説してくれるので、祭典の流れが分かりやすく、勉強になります。

新熊野神社 - 左義長神事1
青竹を3本組んで櫓にした左義長には、正月飾りのほか習字や扇が飾られる。
新熊野神社 - 左義長神事2
宮中では正月期間の前半7日に神事、後半7日に仏事が行われることに基づき、左義長神事の前半は神主、後半は山伏が祭典を執り行う。
新熊野神社 - 左義長神事3
神主によって左義長や参拝者らが祓い清められた後に、山伏が登場。境内にほら貝の勇壮な音が響いた。

左義長の燃え方で吉凶を占う

宮中行事に基づいて行われる新熊野神社の左義長神事では、左義長の燃え方でその年の吉凶を占います。焚き上げた炎と煙が高く上がり、左義長が恵方に倒れると吉なのだそう。2020年の左義長神事では、点火してすぐに勢いよく燃え上がり、炎が高く上がりました。盛大な音を立てて燃え盛る左義長の煙を浴び、参拝者は一年間の幸福を祈りました。

新熊野神社 - 左義長神事4
火打石でおこした火を松明に移し、左義長に点火する。
新熊野神社 - 左義長神事5
左義長が恵方に倒れるように、綱で引っ張るのだそう。「ほっといたらどこに倒れるか分からんので」という神主のユーモラスな解説に、参拝者は大笑い。
新熊野神社 - 左義長神事6
訪れた参拝者は誰でも神事に参加することができる。玉串奉奠(たまぐしほうてん)の後に山伏の加持を受け、御神酒とお下がりをいただいた。
新熊野神社 - 吉兆稲穂
正月14日に歳神が稲穂を残して帰ることに由来するという吉兆稲穂の授与が行われた。11月の火焚祭で供えられた稲穂で作られているそう。右上はお下がりでいただいたお餅。
商品名:「吉兆稲穂」500円

基本情報

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。