1本の木が赤や白、薄桃や絞りに咲き分け、花弁がひとひらずつ散る様が見る者を魅了する五色八重散椿。加藤清正が朝鮮から持ち帰り、秀吉に献上した椿の花を愛でてみませんか。
行基作と伝わるお地蔵様がおわす寺
椿寺と呼び親しまれる地蔵院は、神亀3年(726)に行基が聖武天皇の勅願により、摂津国に建立したのが始まりと言われます。その後平安時代に京都の衣笠山麓に移り、室町初期に戦乱で焼失したものを足利義満が再建。豊臣秀吉の命で現在地に移ったと伝わっています。


芸術家にも愛された椿の名樹
加藤清正は朝鮮出兵の折に五色八重散椿を持ち帰り、豊臣秀吉に献上しました。秀吉が北野大茶会の縁で地蔵院に献木し、その後長く名椿として愛されてきました。昭和58年に樹齢約400年の初代が枯死し、現在は枝分けした樹齢約120年の二世が寺の春を彩っています。



討ち入りの陰の功労者が眠る椿寺
赤穂浪士の討ち入りを支援したとされる、堺の商人・天野屋利兵衛は、晩年を地蔵院で過ごしました。境内には利兵衛の墓があり、12月14日のみ公開される木像が安置されています。墓のそばの中庭にも五色八重散椿の二世が植えられ、菩提を弔うかのように花をつけます。

