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生誕300年 与謝蕪村の足跡をたどる

俳人であり画人でもある与謝蕪村は、伊藤若冲と同年の1716年生まれ。漂泊の人生を送りましたが、晩年は京都に定住し、その生涯を終えました。京都に残る蕪村の足跡を見てみましょう。

漂泊の俳人 与謝蕪村

大阪生まれの与謝蕪村は、20歳頃に江戸へ出て早野巴人(夜半亭宗阿)の弟子となり、俳諧を学びます。巴人の死後は関東・東北方面を歴遊。敬愛する松尾芭蕉の奥の細道を辿る旅もしました。30代半ばで上洛した後も丹後や讃岐を訪問。晩年は京都に居を定めました。

与謝蕪村 - 石碑
与謝蕪村の終の棲家とされる地に石碑が建つ。
画家と俳人の二足の草鞋で名声を得た蕪村

俳人として知られる蕪村ですが、画家としても大きな功績を残しています。山水画のほか、俳諧的要素を含んだ俳画の優れた作品を残しました。京都へ移り住んだ蕪村は、40歳を過ぎてから妻子を持ち、絵を描いて家族を養う生活を送ったとされています。一方で島原の俳壇と交流を持ち、俳人としても大いに活躍しました。

与謝蕪村 - 句碑(粟嶋堂)
蕪村が娘の病気平癒を祈願したという粟嶋堂宗徳寺。「粟嶋へ はだしまいりや 春の雨」の句碑が建つ。
与謝蕪村 - 句碑(東鴻臚館 跡地)
平安時代の東鴻臚館(ひがしこうろかん)跡地に建つ蕪村の句碑。「白梅や 墨芳しき 鴻臚館」と刻まれている。
与謝蕪村 - 角屋
島原の揚屋である角屋の亭主は、蕪村の句会にも参加したという。角屋もてなしの文化美術館では、「蕪村と島原俳壇展」(後期2016年9月15日~12月15日)を開催する。
芭蕉が訪れ、蕪村が眠る金福寺

蕪村が敬愛した松尾芭蕉は、金福寺に滞在し鉄舟和尚と交流しました。鉄舟が芭蕉庵と名付けた庵は時を経て荒廃しますが、蕪村とその一門がこれを再興。その後、蕪村は芭蕉庵でたびたび句会を催したそうです。68歳で没した蕪村は、芭蕉庵のそばに葬られました。緑に囲まれた墓所からは、京都市内が一望できます。

与謝蕪村 - 芭蕉庵
こけら葺きの素朴な庵である芭蕉庵。
与謝蕪村 - 墓(金福寺)
金福寺境内には、蕪村の墓のほか句碑も建てられている。本堂では蕪村の遺品も拝観できる。

基本情報

  • 施設名
    与謝蕪村邸宅跡(終焉の地)
    住所
    京都市下京区仏光寺通烏丸西入南側
  • 寺社名
    粟嶋堂(宗徳寺)
    住所
    京都市下京区三軒替地町124
    電話番号
    075-371-2332
    URL
    http://awashimado.or.jp/
  • 施設名
    東鴻臚館跡
    住所
    京都市下京区西新屋敷揚屋町
  • 施設名
    角屋
    住所
    京都市下京区西新屋敷場屋町32
    電話番号
    075-351-0024
    URL
    http://sumiyaho.sakura.ne.jp/
  • 寺社名
    金福寺
    住所
    京都市左京区一乗寺才形町20
    電話番号
    075-791-1666

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。