いま、古墳めぐりが静かなブームを迎えています。古墳女子という言葉も生み出されるほど、ファンが増えています。京都市内の古墳を訪れ、古代の歴史を感じてみましょう。
太秦の地名の由来、秦氏を知ろう
5世紀前後、京都には秦氏という渡来系民族が住み、豪族として一帯を治めていました。その秦氏に由来する名を持つのが太秦。蚕ノ社や広隆寺など、秦氏にまつわる社寺が多く残っています。そして、秦氏一族を葬った古墳も点在。中でも石室の様子がよく分かるのが蛇塚古墳です。規模も大きく、秦氏の勢力を感じさせます。
稲荷神の祀られる天塚古墳
太秦の三菱自動車工業の北側にある天塚古墳は、6世紀前半に作られたと推定される横穴式前方後円墳。くびれが2カ所あり、石室が2室あるという特徴的な形をしています。銅鏡や勾玉など約400点の副葬品が発掘され、秦氏一族の墓であると推定される天塚古墳。現在は石室内に稲荷神が祀られています。
古墳群を擁する双ヶ岡
仁和寺の南から法金剛院の近辺にかけて、小高い山が3つ並んだように見える双ヶ岡。古くから知られた山で、貴族の山荘が建てられたり、天皇の行幸地になったりしました。この双ヶ岡には6~7世紀に作られたとされる大小の円墳が24基群集していることから、双ヶ岡古墳群と呼ばれています。