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天智天皇山科陵EC

天智天皇山科陵を訪ね山科疎水をそぞろ歩く

山科駅から三条通を西へ進むと、緑に覆われた小高い丘が見えてきます。これは、天智天皇の御陵(ごりょう)。陵墓の裏手は疎水が流れ、絶好の散策路になっています。天皇陵と疎水をそぞろ歩くコースはいかがですか。

緑豊かな天智天皇 山科陵(てんぢてんのう やましなのみささぎ)

大化の改新を行った中大兄皇子、後の天智天皇は数々の業績を残しました。その一つとして、日本で初めて漏刻(水時計)を用い、鐘で時を知らせたことが知られています。

京都市山科区御陵(やましなくみささぎ)の地名の由来である天智天皇 山科陵。天皇の遺志で山科に築かれたとされる御陵にお参りしてみましょう。

天智天皇 山科陵1
鳥のさえずりに包まれる、緑豊かな天智天皇 山科陵。すぐ側を通る三条通の喧噪が嘘のように静かで爽やかだ。
天智天皇 山科陵2
山科陵の入り口には、天智天皇の業績にちなみ、日時計のモニュメントが設置されている。
ゆったり流れる山科疎水を散策

天智天皇 山科陵の北側を流れる琵琶湖疎水は、京都の近代化を語るうえで欠かせない存在。第一疎水の四ノ宮~日ノ岡間は山科疎水とも呼び親しまれ、約4㎞にわたり東山自然緑地として遊歩道が整備されています。春の桜や菜の花、夏の緑、秋の紅葉も素晴らしく、ゆるやかな疎水の流れに心が癒されます。

山科疎水(琵琶湖疎水)1
東山自然緑地にはベンチが設置され、ゆっくり座って景色を楽しむことができる。行き交う船がすれ違うための船だまりも残り、水運に利用された往時の面影を偲ばせている。野鳥観察にも適したスポットだ。
山科疎水(琵琶湖疎水)2
山科疎水の第3トンネル東側に架けられた第11号橋は、一見何の変哲もない橋だが、実は日本初の鉄筋コンクリート橋。建設時には専用の鉄筋がなく、疎水工事に使用したトロッコのレールを代用したという。
山科疎水(琵琶湖疎水)3
第2疎水は水道水としての利用を視野に入れ、濁水防止のため埋め立てトンネルとされた。第1疎水岸辺に残るアーチ状の建造物は、当時の作業員が技術習得のために、埋め立てトンネル上部の複製を制作したものだとされている。
疎水のトンネルに掲げられた洞門扁額を鑑賞しよう

琵琶湖疎水のトンネルの出入口には、扁額が掲げられています。この扁額の揮毫者は、疎水建設に従事した技師の田邉朔郎や当時の府知事であった北垣国道のほか、伊藤博文や山縣有朋、井上馨、久邇宮邦彦、松方正義、三条実美など錚々たる顔ぶれ。漢詩の引用や、疎水を讃える文が刻まれています。様々な苦難を経て完成した琵琶湖疎水に寄せた想いが感じられますね。

琵琶湖疎水トンネル出入口1
第1トンネルの琵琶湖側の扁額は琵琶湖疎水着工時の総理大臣・伊藤博文の揮毫で、山科側は第一疎水完成時の総理大臣・山縣有朋による「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」。疎水の悠然とした流れを讃えている。
琵琶湖疎水トンネル出入口2
第2トンネル西口の「隨山到水源」は、山を沿っていくと水源に到達するの意。西郷隆盛の弟・従道による扁額だ。
琵琶湖疎水トンネル出入口3
第3トンネル東口の「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」は唐詩からの引用で、松方正義の揮毫。このトンネルを抜けると蹴上のインクラインに出る。

基本情報

  • 寺社名
    天智天皇山科陵
    住所
    京都市山科区御陵上御廟野町

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。