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聚楽第EC

天下人・秀吉が築いた聚楽第

豊臣秀吉が築いた聚楽第は、天正15年(1587)に完成しましたが、わずか8年で完全に破却されました。夢まぼろしのように儚く消えてしまった聚楽第跡をたずね歩いてみましょう。

絢爛豪華だった聚楽第

聚楽第は、平安京の跡地に建てられた政庁兼住宅。本丸と南二ノ丸、北ノ丸、西ノ丸の内郭と、外堀に囲まれた外郭で構成され、聚楽城とも呼ばれます。金箔を貼った瓦を葺いた、絢爛豪華な建物だったそうです。豊臣秀次が失脚した後、その居城であった聚楽第は秀吉によって完全に破却。聚楽第は長らく謎に包まれていましたが、近年の発掘調査で堀の跡が見つかり、その姿が浮かび上がってきました。

聚楽第本丸東堀跡
1991年の発掘調査で、本丸の東堀が発見された。堀跡からは多種多様な金箔瓦が出土。聚楽第本丸の瓦として、後に国の重文指定を受けた。
松永稲荷神社
聚楽第南堀の鵲橋(かささぎのはし)があったとされる地に建つ松永稲荷神社。鵲大明神と白玉大明神が祀られている。
地形で感じる聚楽第

聚楽第があったと考えられているエリアを歩いていると、起伏が多いことが分かります。ずっと平坦な道が続いているのに、突然現れる謎の坂道。この起伏は、聚楽第の堀跡と考えられています。北ノ丸北堀跡や西外堀跡、南外堀跡は一見して分かるほどの傾斜です。城郭の名残が感じられる道をそぞろ歩いてみましょう。

聚楽第北ノ丸北堀跡1
北ノ丸北堀跡は高さ2.5メートルの石垣が150メートルにわたって続く。私有地なので近づくことはできないが、建ち並ぶマンションの駐車場越しに石垣を見ることができる。
聚楽第北ノ丸北堀跡2
智恵光院通から一条通を東へ入ってすぐの路地を歩くと、北ノ丸北堀跡の規模がよく分かる階段がある。
聚楽第西外堀跡
土屋町通中立売下ルの道路の傾斜は、落差2メートル以上。西外堀跡と考えられている。西外堀跡を示す石碑が正親小学校前に建っている。
松林寺
松林寺の境内には、外郭の南堀跡と考えられている落ち込みがある。何気なく歩く坂道も、絢爛豪華な城郭の堀跡だと考えるとおもしろい。
地名で感じる聚楽第

秀吉は聚楽第を中心にして、大名屋敷を整備しました。今でもこのエリアには、黒田如水ゆかりの如水町や宇喜多秀家ゆかりの浮田町など、大名屋敷ゆかりの地名が多く残っています。また、本丸東堀に由来する東堀町や、庭園に由来する須浜町、石垣に使った石材に由来する鏡石町など聚楽第にちなむ地名も残り、姿はなくともその存在を今に伝えています。地図を片手に散策して、聚楽第の姿を感じてみましょう。

黒田如水邸宅跡
黒田如水の邸宅跡がある如水町。
上杉景勝屋敷跡
上杉景勝の屋敷跡。この辺りは景勝の官名・弾正少弼にちなみ、弾正町という。
聚楽第本丸南堀跡
2012年に行われた須浜町の発掘調査で、聚楽第本丸南堀と推定される石垣が発見され話題を呼んだ。発掘時の様子をパネルで展示している。

基本情報

  • 施設名
    聚楽第本丸東堀跡
    住所
    京都市上京区大宮中立売
  • 施設名
    松永稲荷神社
    住所
    京都市上京区松屋町通出水上ル
  • 施設名
    聚楽第北ノ丸北堀跡
    住所
    京都市上京区一条通智恵光院東入鏡石町
  • 施設名
    聚楽第西外堀跡
    住所
    京都市上京区中立売通智恵光院西入
  • 施設名
    松林寺
    住所
    京都市上京区智恵光院通出水下ル分銅町575
    電話番号
    075-841-5880
  • 施設名
    黒田如水邸宅跡
    住所
    京都市上京区一条通猪熊西入ル
  • 施設名
    上杉景勝屋敷跡
    住所
    京都市上京区黒門通り一条上ル
  • 施設名
    聚楽第本丸南堀跡
    住所
    上京区智恵光院通上長者町下ル須浜町

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。