山科区にある元慶寺(がんけいじ)は、六歌仙の1人として知られている僧正遍昭(へんじょう)を開基とする、天台宗の寺院。第65代花山天皇が落飾した地で、西国三十三所の番外札所となっています。
緑豊かな元慶寺
元慶寺は、薬師瑠璃光如来を本尊とする天台宗の寺院。藤原高子が貞観10年(868)、陽成天皇の誕生に際し発願して、僧正遍昭を開基として建立。元慶(877)に清和天皇の勅願寺となり、寺名を年号から取り元慶寺に定めました。寺格が高く多くの寺領を擁していましたが、応仁の乱の兵火で焼失。鐘楼門をはじめ、本堂や五大堂、庫裏は江戸時代の寛政年間に再興されたと伝わります。
六歌仙の1人・僧正遍昭
元慶寺の開基・僧正遍昭は、桓武天皇の孫で、俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。六歌仙の1人として知られています。子どもは三十六歌仙の1人である素性(そせい)法師です。元慶寺の境内には、僧正遍昭の「天つかぜ雲の通ひ路ふきとぢよ をとめの姿しばしとゞめむ」、素性法師の「今こむと言ひし許(ばかり)に長月の ありあけの月を待ちいでつる哉」の歌碑があります。
花山天皇落飾の寺
元慶寺の境内に、「花山院法皇御落飾道場」と刻まれた石碑が建っています。花山天皇は、寵愛していた女御が妊娠中に亡くなり、深い悲しみに沈んでいたときに、藤原兼家らの策謀により退位し、元慶寺で落飾。法皇となりました。花山法皇は廃れていた西国三十三所観音霊場を復活させたことから、ゆかりの深い元慶寺は番外札所に定められ、いまも巡礼者が多く訪れています。