悠々と流れる山科疎水にかかる、赤い欄干が目を引く橋。これは本圀寺への参道の橋です。鎌倉時代からの歴史を持ち、加藤清正とのゆかりも深い本圀寺を散策してみましょう。
波瀾万丈の歴史を歩んだ本圀寺
本圀寺の歴史は、鎌倉時代に遡ります。建長5年(1253)、日蓮上人が鎌倉に庵を構え、法華堂と名付けました。10年後には大光山本国土妙寺として創建。貞和元年(1345)には、光厳天皇の勅命によって京都六条に移転し、立正安国・国祷護国の大道場本国寺として広大な寺領を拝領しました。本国寺が京都へ移転した時の住職・日静上人は、足利尊氏の叔父だそう。その後、戦乱や大火で幾度も危機を迎えますが、その度に復興し、現在は山科に伽藍を構えています。
加藤清正ゆかりの寺
本圀寺にゆかりの深い人物の1人に、加藤清正が挙げられます。豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳七本槍の1人として知られる武将・加藤清正は、日蓮宗の熱心な信者だったそう。本圀寺の復興にも尽力し、開運門と呼ばれる山門や経蔵を寄進しました。朝鮮へ出兵する折には、両親の遺骨や、自身の肉や歯、頭髪などを石棺に納め、生前墓を本圀寺に建てました。
本圀寺で開運祈願
本圀寺には、開運門のほかにも開運祈願スポットが盛りだくさん。九頭竜銭洗弁財天は財運を授けてくれる神様で、霊水で硬貨を洗って浄財袋に入れて持ち帰ると、お金が増え願いが叶うといわれています。そのほか、願いが叶うという大岩さんや、がん封じで知られるくみょうさまなどの御利益スポットも。数年前までは、運気を呼び込む金色で装飾された鐘楼や仁王像などで有名でしたが、今は落ち着いた色になっています。