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千代の古道EC

王朝歌人が歌に詠んだ千代の古道

千代の古道(ふるみち)とは、貴族たちが嵯峨へ遊行する折に通ったとされる道。在原行平や藤原定家らが歌に詠んだいにしえの道をたどって、王朝人が愛でた風景に思いを馳せてみましょう。

響きも雅な千代の古道

千代の古道は、京の都から嵯峨へ至るとされる道。歌枕として数々の和歌に詠まれていますが、複数のルートが伝わるなど、その道筋ははっきりとは分かっていません。歌の上だけの道という説もあります。響きが優雅で、謎に包まれている千代の古道。推定されるルートに建てられた石碑をたどりながら、王朝人になった気分で、北嵯峨を散策してみましょう。

千代の古道の石碑1
梅宮大社から大覚寺にかけて点在する千代の古道の石碑。北嵯峨かいわいは、のどかな田園風景が広がる。
千代の古道の石碑2
道々に建つ石碑は、京都西ロータリークラブが1980年に建てたもの。側面には和歌が刻まれている。
千代の古道の石碑3
山越通に建つ石碑。藤原為家の歌「里人も千代の古道幾かへり 春の嵯峨野の若菜つむらん」が刻まれている。
月見の名所・広沢池

お盆の灯籠流しや冬の鯉揚げで有名な広沢池は、永祚(えいそ)元年(989)に寛朝僧正が遍照寺を建立したときに開削したと伝わる、かんがい用の溜池です。平安期には観月の名所として名を馳せ、王朝歌人たちが数多くの歌を詠みました。貴族たちが千代の古道を通って、月を愛でに訪れたであろう広沢池。春の桜や秋の紅葉は言うまでもなく、四季を通じて美しい池です。

広沢池1
嵯峨富士とも呼ばれる遍照寺山が水面に映り込む様も美しい。
広沢池2
池の西側に突き出る観音島には、十一面千手観音菩薩の石像が祀られている。
縁を結ぶ児神社

広沢池西南のほとりには、児(ちご)神社が鎮座しています。寛朝僧正が亡くなったときに、残された侍児は悲嘆のあまり、広沢池に身を投げたそう。人々がこの侍児を哀れんで社を建てたのが、児神社の起こりです。安産祈願で知られる神社で、妊婦がお参りすると、知恵や愛嬌のある子どもが生まれるといわれています。

児神社1
池の畔にひっそりとたたずむ児神社。児神社の玉垣のそばにも、千代の古道の石碑が建っている。
児神社2
寛朝僧正が池の畔で瞑想をしているときに、そばで侍児が腰掛けていたという石椅子。神前で一心に祈りを捧げて石椅子に座ると、長命や縁結び、安産の御利益があるという。
児神社3
境内に埋まっていたものが掘り起こされた、ハート型の礎石。縁結びの御利益がありそう。
旧御室御所茶所の碑が建つ印空寺

広沢池から東へ200メートル、一条通山越交差点からすぐの所にある印空寺の創建は元禄元年(1688)。印空上人が美濃国立政寺から入洛し、仁和寺第23世門跡の覚観法親王から土地を下賜され、七堂伽藍を建立しました。本尊の阿弥陀如来のほか、後柏原天皇が永正元年(1504)に救世祈願して作らせたという御所大黒天神を祀っています。

印空寺1
御室仁和寺(御室御所)門跡が外出する際に、印空寺の前身・印空庵を休憩所として利用したと伝わり、門前にこれを示す石碑が建っている。
印空寺2
山門や本堂、庭園など、境内は平成に入ってから一新されている。二河白道と名付けられた石庭が素晴らしい。

基本情報

  • 施設名
    千代の古道(石碑)
    住所
    京都市右京区嵯峨大沢落久保町
  • 施設名
    千代の古道(石碑)
    住所
    京都市右京区太秦御領田町
  • 施設名
    広沢池
    住所
    京都市右京区嵯峨釣殿町
  • 寺社名
    児神社
    住所
    京都市右京区嵯峨釣殿町28
  • 寺社名
    印空寺
    住所
    京都市右京区山越西町8
    電話番号
    075-872-4625
    URL
    http://www.inkuuji.com

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。