千代の古道(ふるみち)とは、貴族たちが嵯峨へ遊行する折に通ったとされる道。在原行平や藤原定家らが歌に詠んだいにしえの道をたどって、王朝人が愛でた風景に思いを馳せてみましょう。
響きも雅な千代の古道
千代の古道は、京の都から嵯峨へ至るとされる道。歌枕として数々の和歌に詠まれていますが、複数のルートが伝わるなど、その道筋ははっきりとは分かっていません。歌の上だけの道という説もあります。響きが優雅で、謎に包まれている千代の古道。推定されるルートに建てられた石碑をたどりながら、王朝人になった気分で、北嵯峨を散策してみましょう。
月見の名所・広沢池
お盆の灯籠流しや冬の鯉揚げで有名な広沢池は、永祚(えいそ)元年(989)に寛朝僧正が遍照寺を建立したときに開削したと伝わる、かんがい用の溜池です。平安期には観月の名所として名を馳せ、王朝歌人たちが数多くの歌を詠みました。貴族たちが千代の古道を通って、月を愛でに訪れたであろう広沢池。春の桜や秋の紅葉は言うまでもなく、四季を通じて美しい池です。
縁を結ぶ児神社
広沢池西南のほとりには、児(ちご)神社が鎮座しています。寛朝僧正が亡くなったときに、残された侍児は悲嘆のあまり、広沢池に身を投げたそう。人々がこの侍児を哀れんで社を建てたのが、児神社の起こりです。安産祈願で知られる神社で、妊婦がお参りすると、知恵や愛嬌のある子どもが生まれるといわれています。
旧御室御所茶所の碑が建つ印空寺
広沢池から東へ200メートル、一条通山越交差点からすぐの所にある印空寺の創建は元禄元年(1688)。印空上人が美濃国立政寺から入洛し、仁和寺第23世門跡の覚観法親王から土地を下賜され、七堂伽藍を建立しました。本尊の阿弥陀如来のほか、後柏原天皇が永正元年(1504)に救世祈願して作らせたという御所大黒天神を祀っています。