見どころ

王朝歌人が歌に詠んだ千代の古道

2018-07-04

千代の古道(ふるみち)とは、貴族たちが嵯峨へ遊行する折に通ったとされる道。在原行平や藤原定家らが歌に詠んだいにしえの道をたどって、王朝人が愛でた風景に思いを馳せてみましょう。

響きも雅な千代の古道

千代の古道は、京の都から嵯峨へ至るとされる道。歌枕として数々の和歌に詠まれていますが、複数のルートが伝わるなど、その道筋ははっきりとは分かっていません。歌の上だけの道という説もあります。響きが優雅で、謎に包まれている千代の古道。推定されるルートに建てられた石碑をたどりながら、王朝人になった気分で、北嵯峨を散策してみましょう。

 

千代の古道の石碑1
梅宮大社から大覚寺にかけて点在する千代の古道の石碑。北嵯峨かいわいは、のどかな田園風景が広がる。

 

千代の古道の石碑2
道々に建つ石碑は、京都西ロータリークラブが1980年に建てたもの。側面には和歌が刻まれている。

 

千代の古道の石碑3
山越通に建つ石碑。藤原為家の歌「里人も千代の古道幾かへり 春の嵯峨野の若菜つむらん」が刻まれている。

 

 

月見の名所・広沢池

お盆の灯籠流しや冬の鯉揚げで有名な広沢池は、永祚(えいそ)元年(989)に寛朝僧正が遍照寺を建立したときに開削したと伝わる、かんがい用の溜池です。平安期には観月の名所として名を馳せ、王朝歌人たちが数多くの歌を詠みました。貴族たちが千代の古道を通って、月を愛でに訪れたであろう広沢池。春の桜や秋の紅葉は言うまでもなく、四季を通じて美しい池です。

 

広沢池1
嵯峨富士とも呼ばれる遍照寺山が水面に映り込む様も美しい。

 

広沢池2
池の西側に突き出る観音島には、十一面千手観音菩薩の石像が祀られている。

 

 

縁を結ぶ児神社

広沢池西南のほとりには、児(ちご)神社が鎮座しています。寛朝僧正が亡くなったときに、残された侍児は悲嘆のあまり、広沢池に身を投げたそう。人々がこの侍児を哀れんで社を建てたのが、児神社の起こりです。安産祈願で知られる神社で、妊婦がお参りすると、知恵や愛嬌のある子どもが生まれるといわれています。

 

児神社1
池の畔にひっそりとたたずむ児神社。児神社の玉垣のそばにも、千代の古道の石碑が建っている。

 

児神社2
寛朝僧正が池の畔で瞑想をしているときに、そばで侍児が腰掛けていたという石椅子。神前で一心に祈りを捧げて石椅子に座ると、長命や縁結び、安産の御利益があるという。

 

児神社3
境内に埋まっていたものが掘り起こされた、ハート型の礎石。縁結びの御利益がありそう。

 

 

旧御室御所茶所の碑が建つ印空寺

広沢池から東へ200メートル、一条通山越交差点からすぐの所にある印空寺の創建は元禄元年(1688)。印空上人が美濃国立政寺から入洛し、仁和寺第23世門跡の覚観法親王から土地を下賜され、七堂伽藍を建立しました。本尊の阿弥陀如来のほか、後柏原天皇が永正元年(1504)に救世祈願して作らせたという御所大黒天神を祀っています。

 

印空寺1
御室仁和寺(御室御所)門跡が外出する際に、印空寺の前身・印空庵を休憩所として利用したと伝わり、門前にこれを示す石碑が建っている。

 

印空寺2
山門や本堂、庭園など、境内は平成に入ってから一新されている。二河白道と名付けられた石庭が素晴らしい。
千代の古道(石碑)
施設名 千代の古道(石碑)
住所 京都市右京区嵯峨大沢落久保町
電話番号
URL

千代の古道(石碑)
施設名 千代の古道(石碑)
住所 京都市右京区太秦御領田町
電話番号
URL

広沢池
施設名 広沢池
住所 京都市右京区嵯峨釣殿町
電話番号
URL

児神社
寺社名 児神社
住所 京都市右京区嵯峨釣殿町28
電話番号
URL

印空寺
寺社名 印空寺
住所 京都市右京区山越西町8
電話番号 075-872-4625
URL http://www.inkuuji.com

この記事を書いた人

にっしー
音楽と文学をこよなく愛する関西人。母なる琵琶湖のほとりで生まれ育ち、京都に移り住んで十数年。バス停で困っている修学旅行生に道案内をするのが趣味。