羽柴秀吉と明智光秀が雌雄を決した「山崎の合戦」のゆかりの地・天王山にある宝積寺(ほうしゃくじ)。打出(うちで)と小槌(こづち)が祀られ、「宝寺」「大黒天宝寺」とも呼ばれるパワースポットです。
聖武天皇が龍神から授かった「打出」と「小槌」
奈良の大仏を建立した聖武天皇がまだ皇子だった頃、夢の中で龍神から打出と小槌を授かり、「左手のひらを打つように」とのお告げがありました。夢から覚めた皇子がお告げの通りにすると、翌年に即位したと伝えられています。神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願で宝積寺を建立。打出と小槌が奉納されました。
打ち出の小槌といえば一寸法師。一寸法師は、お椀の舟で淀川をさかのぼって都へ向かう途中、宝積寺で修行を積んだとも伝えられています。
宝積寺の2月3日の節分会「星供結願護摩法要」は、1300年近い歴史がある伝統行事。転禍為福を祈祷したあと、5匹の鬼を追い払う「追儺式」や、七福神の豆まきなどが行われます。



秀吉も運を授かった? 山崎の戦い
1582年(天正10年)6月2日に起こった本能寺の変。中国地方で毛利軍と戦っていた秀吉は、ただちに和議を結び、想像を絶する機動力で畿内へと駆けつけました。いわゆる「中国大返し」です。そして明智光秀との山崎の合戦では、この宝積寺に秀吉の本陣が置かれました。


天下分け目の天王山へ
天王山は標高約270メートル。宝積寺をはじめ山崎聖天や小倉神社にも登り口があります。少し登ると身体もぽかぽか。冬の澄んだ空気のなか、天下を望むのは壮観です。


