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いまも堀川に佇む、一条戻橋

夢枕獏の小説で有名な陰陽師は、映画化もされており私の好きな作品である。安倍晴明の屋敷跡といわれる場所に現在は晴明神社が鎮座しており、京都観光でも人気のスポットとなっている。星形の晴明紋(五芒星)が入ったお守りなどを買い求める参拝客も多いが、晴明神社が面する堀川通を東へ渡ったところにある一条戻橋をぜひ訪れていただきたい。

境内には御神木の楠があり、清々しい空気が流れる
境内には御神木の楠があり、清々しい空気が流れる

堀川通は太平洋戦争時に防火帯として家屋疎開した経緯があり、現在の広い通りになったが、交通量が多く昔からの佇まいを残している場所は意外に少ない。今は暗渠(あんきょ)となっているが、通りの名前にもある堀川が地下を流れており、今出川から御池の間は開渠(かいきょ)部分であり川の流れを望むことができる。一条戻橋は堀川に架かる橋で、安倍晴明が式神を隠していた場所として知られているが、あまりに堀川通の交通量が多く、気づかずに通り過ぎてしまう人が後を絶たないそうだ。

現在の一条戻橋は平成7年に架け替えられたもの
現在の一条戻橋は平成7年に架け替えられたもの

一条戻橋は平安時代に一条大路の堀川を渡る橋として架橋され、平家物語にも登場する歴史のある橋であるが、そもそもなぜ「戻橋」と呼ばれているのだろうか。

京都御所を中心として794年に創建された平安京は、現在の市街地からみると小規模なものであった。西大路通にある「西院」という地名はあの世との境目である「賽の河原」からきているといわれており、西大路ですら当時の平安京からすれば辺境の地とされていたのである。堀川東側の賑やかな雰囲気は戻橋を渡ると一転し衰退していたことから、戻橋を渡るという行為そのものに様々な風習や伝統が生まれたといわれている。

琵琶湖疏水から流れる堀川は、ゆったりと時間を忘れさせる
琵琶湖疏水から流れる堀川は、ゆったりと時間を忘れさせる

「撰集抄」によれば、平安時代の漢学者であった三善清行が亡くなったとき、その知らせを聞いた子の浄蔵は急いで帰京した。到着したとき、ちょうど清行の葬列が戻橋を渡っているところであった。浄蔵は父の死を嘆き悲しみ、棺にすがって亡き父との再会を願ったところ、大空に雷鳴が轟き蘇ったという伝説が戻橋の由来とされている。

現在の橋は平成7年に架け換えられたものだが、橋の下は遊歩道が整備されており、歴史に思いを馳せながら堀川の風を感じてみてはいかがだろうか。

一条戻橋 名 称 一条戻橋
住 所 京都府京都市上京区堀川下之町
交 通 京都駅から市バス9系統で30分。バス停「一条戻橋・晴明神社前」下車徒歩すぐ。
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この記事を書いた人

小東けんじ
京都生まれ京都育ちなのだが、南部のはずれ出身のため「京都っぽさ」が希薄で誰にも気付かれない。
首からカメラを下げると新聞記者のおっさんにしか見えないけれど、今日も元気に都大路を東奔西走する。