河井寛次郎は、1890年に島根で生まれ、京都で活動した陶器をつくる職人でした。ある時期、寛次郎は、個展を成功させるものの、自らの仕事に疑念をもちはじめます。そんなとき、出会ったのが民藝運動の中心人物となる柳宗悦でした。彼らは民藝運動なるものを立ち上げます。
民藝運動とは、職人の手仕事により生み出され、暮らしのなかで実際に使われている器などに「用の美」を見出し、世に紹介、普及させようとする運動でした。清水寺からほど近い、東山区五条にある河井寛次郎記念館は、彼による設計の自宅兼工房です。
生活の場で民藝を堪能
京阪電車「清水五条」駅で降り、国道一号線(五条通り)を、正面に山並みを望みながら歩くこと10分。レンガ作りの六兵衛窯の建物を、南(右折)へいったところに、河井寛次郎記念館はあります。建物は周囲の民家に溶け込み、小さな玄関から入るので、お宅にお邪魔するといった感じです。
古民家のような無骨で重厚なつくりの旧河井邸=記念館は、実はリピーターが多いことで知られています。町の慌ただしさを離れ、河井さんちに和みにいく。そんな感覚かもしれません。
下駄箱に靴を預けて、チケットを購入します。美術館での展示とは違って、寛次郎の作った器やオブジェは、生活の品として住まいなかに飾られています。陶芸作品、木彫、書、画、そして、蒐集品まで、所狭しと並んでいます。
窓から見える庭の緑、障子から漏れる淡い光に照らされる陶芸作品、吹き抜けの天井に吊るされたどっしりと重そうな縄。民族衣装やお面。そして、寛次郎がデザインし作った調度品の数々。寛次郎は、派手な額に納められた名画のなかではなく、日々の生活のなかにある美しさを見出し、めでる人でした。ふとした窓辺の景色からタンスやオブジェまで、どこを切り取っても民藝独自の素朴さがみられます。
二階にも多くの作品がありますが、圧巻なのが、大きな丸石が鎮座する中庭の向こう側にある二つの焼き窯。薪が置いてある大きな登り窯からは、今にも寛次郎が姿を現しそうです。
美術館とは違う、作品との出会い
民藝においては、作家が観賞用に作る芸術品ではなく、無名の職人が、例えば、その日に数百もの器に絵付けをしなければならず、とにかく無心にてらいなく走らせた筆の優美さに価値を見出しました。
寛次郎の作ったものにも、そうした美しさを見出すことができます。焼きものの色の繊細な美しさ。また、木彫に共通する骨太なフォルム。書における大胆な線の心地よさ。とくに随所に置かれた寛次郎の木彫は、大きくて堂々とした存在感がありますが、それでいて、大げさで、不自然なところがないのです。
「作品」ではなく、「用の美」。セレクトショップやデパートを物色するときのように、手に取って心地よいだろうか、使いやすいだろうか、自分の部屋においてみたらどうか。そんなことを考えながら館内を巡ると、美術館とは違った体験ができ、民藝の世界を存分に堪能できます。