「鳥獣人物戯画」の寺として知られる、世界文化遺産の高山寺。楓をはじめ杉や松などの古木に覆われた境内を歩きながら、厳しい修行を続けたひとりの僧に思いをはせました。
つづら折りの裏参道をのぼり、石水院へ
高山寺への表参道は、国道162号線からの緩やかな坂道。車の往来が少ない時期なら、足腰が不安な方は表参道で車を降りたほうが歩きやすいかもしれません。木陰に入ると、市内の暑さを忘れるような涼しい風にほっとします。
鎌倉時代初期の1206年、栂尾にあった古い寺を後鳥羽上皇より賜った明恵(みょうえ)上人は、名前を高山寺と改めて再興しました。寺名の由来は、後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺」。「日が出て、まず高い山を照らす」という意味で、華厳経の中の句です。
幼いときに両親と死別した明恵上人は、自らや仏教の「あるべきよう」を模索して厳しい修行に励みました。若いころは世俗を断って求道するため自ら右耳を切り落とし、釈迦を慕って天竺行きを決意したことも。「明恵上人像」では高山寺山中の木の上で坐禅する、おだやかな表情の明恵上人を小鳥やリスが見守ります。
高山寺では日本最古の漫画ともいわれる「鳥獣人物戯画」を所蔵しています。現在は京都国立博物館と東京国立博物館に分けて保管され、模写品を石水院に展示。甲乙丙丁4巻からなり、擬人化されたウサギやカエルなどが生き生きと描かれた甲巻がもっとも有名です。
日本茶のふるさと、栂尾
高山寺は、現在と同じ種類の茶が日本ではじめて作られた所でもあります。臨済宗開祖の栄西禅師に、宋から持ち帰った茶を薬として紹介された明恵上人。さっそく山内で植え育て、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があると周囲にすすめたそうです。
「本茶」と呼ばれ、最高級の品質とされた栂尾の茶。その栽培を広めるため明恵上人が宇治に茶栽培を伝えたのが、宇治茶のはじまりとされています。
木立のなかを開山堂、そして金堂へ
明恵上人坐像を安置する開山堂は、晩年を過ごした禅堂院の跡地にありました。毎年11月8日に開山堂で執り行われる「献茶式」では、茶祖である明恵上人に新茶を献上します。
室町時代に焼失した本堂に代わって、江戸時代に御室仁和寺真光院から古い御堂を移築したのが現在の金堂。釈迦如来像を本尊としています。かつては堂宇が並んでいましたが、現在は金堂だけが静かに立っています。
亭々たる杉木立のなか、自然石の急な石段を下りて金堂道を歩きます。道の左右にある小さなせせらぎや葉擦れの音、鳥の声など、喧騒のなかでは聞き落してしまうような小さな音が心地よく響いていました。