徳川家康が築き、15代将軍慶喜が大政奉還を発表した二条城。江戸時代の始まりと、終わりを見守った世界遺産の城に、冬の花と雪が彩を添えています。
歴史が動いた舞台、二の丸御殿
徳川家康が征夷大将軍になった1603年(慶長8年)、御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として二条城(現在の二の丸部分)が完成しました。その8年後、家康と豊臣秀頼が二条城で会見。立派に成長した秀頼の姿をみた家康が危機感を抱いたことが、豊臣家滅亡の一因ともいわれています。
狩野派の障壁画や華麗な装飾、歩くと音が鳴る鴬張りの床などで知られる二の丸御殿は、国宝に指定されています。
1867年(慶応3年)、15代将軍の徳川慶喜は、二の丸御殿の大広間に諸藩の重臣を集めて大政奉還を発表。明治時代初期には、二の丸御殿が京都府庁舎として使われていました。
江戸時代に焼失した天守閣跡から大文字、比叡山を望む
3代将軍家光の時代に、一国一城令で廃城となった伏見城から五層の天守が移築されました。しかし、1750年(寛延3年)に落雷のため焼失。その後は再建されませんでした。1788年(天明8年)には、本丸御殿も火災で焼失してしまいました。
二条城の椿
本丸を出て清流園へと向かう城内北西の通路には約400本の椿が植えられ、3月下旬から4月中旬にかけて見頃を迎えます。
千利休や秀吉に茶花として愛された椿。家康が将軍になった1603年には、醍醐三宝院の座主から家康に白椿が献上されました。二代将軍秀忠はとくに椿を愛好し、江戸城内の花畠には各地の大名に献上させた椿の大庭園が築かれました。