四条大橋界隈でもひときわ目を惹く西洋建築、東華菜館。スパニッシュバロック様式の重厚な装飾に彩られた老舗北京料理店を訪れました。
大正15年当時の姿をほぼ維持している建物
明治維新で大きく衰退した京都は、都市としての再生をかけてダイナミックに近代化を進めます。日本最初の水力発電所や市電、そして西洋の様式を取り入れた建物が多く建てられました。戦火をまぬがれた近代建築の多くは、今日まで大切に保存されています。





日本最古の手動式エレベーターに乗り、紳士淑女になった気分を味わう
1924年にアメリカで製造、輸入されたオーチス社製のエレベーターは、現存する日本最古のものです。階数を表示するフロアインジケーターは半円形のアナログ時計式。フロアごとに天井の高さが異なるため、数字の間隔が均一ではありません。


宮廷料理として発展した北京料理を味わう
当初、この建物は西洋料理店「矢尾政」のビアレストランでしたが、戦時色が深まるにつれ存続が難しくなり閉店。山東料理を修得して来日した中国人の于永善によって、1945年末に北京料理店「東華菜館」が誕生しました。
山東料理は、北京料理の原点とも言えるものです。明朝・清朝の時代、山東省などで乾燥したフカヒレ・干しアワビ等の食材や調味料が皇帝に献上されるようになりました。そして山東地方の調理師達が北京に招かれ、宮廷料理として北京料理を発展させたのです。

酢豚 1,500円

春巻き 1,500円
流行にとらわれない本格的北京料理。その風味は塩味ベースの比較的あっさりした親しみやすいもので、親子3代にわたるファンも少なくありません。
日本を愛した建築家が生涯唯一手がけたレストラン
1905年にアメリカから来日したヴォーリズは、キリスト教精神に基づいて結核療養所の開設、学校教育などの社会貢献活動を続けました。これらを経済的に支えるべく、建築設計会社や現在の近江兄弟社を設立しました。

太平洋戦争を前に多くの外国人が日本を離れるなか、ヴォーリズは日本に帰化。夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名しました。「アメリカより来りて日本に留まる」という名前の通り、83歳の生涯を終えるまで愛する家族と日本で過ごしました。

ヴォーリズは建築を、キリスト教の隣人愛精神の表現と捉えていました。依頼者の求めに応える奉仕の精神をもって、京都の御幸町教会や滋賀県の豊郷小学校など全国で1500棟を超える建物を設計。東華菜館は、ヴォーリズが生涯で唯一手がけたレストラン建築です。