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島原角屋EC

旧花街・島原の揚屋「島原角屋」を訪ねる

非公開文化財が特別に公開される、「京都冬の旅」が今年も開催されています。51回目となる今回は大政奉還150年記念をテーマに、幕末ゆかりの寺院など14カ所が公開中です。その一つ「島原角屋」を訪れてみました。

花街や文化の中心地として繁栄した島原

大宮通から花屋町通を西へ進むと、島原の東入口の「島原大門」が見えてきます。島原の正式な地名は「西新屋敷」ですが、六条三筋町からの移転騒動が島原の乱を思わせたことから「島原」と呼ばれるようになりました。歌や舞を披露する花街として発展し、和歌や俳壇などの文芸活動も盛んに行われました。幕末には西郷隆盛や新選組らも出入りしていたのだとか。しかし明治以降になると立地条件の悪さなどが影響して衰退し、現在ではお茶屋の輪違屋さんが営業を続けるのみとなっています。

島原大門
現在の島原大門は1867年に建てられたもの。島原はかつて、祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東と合わせて六花街の一つだった。
輪違屋
輪違屋は元禄年間に太夫や芸妓をかかえる置屋として創業し、現在はお茶屋として営業している。
貴重な揚屋建築を今に伝える「島原角屋」

島原は、太夫や芸鼓を置屋から、宴席の揚屋やお茶屋に派遣する「送り込み制」で営まれていました。揚屋は現在の料亭や料理屋にあたり、特別公開されている「島原角屋」は揚屋建築の唯一の遺構として国の重要文化財に指定されています。

角屋は2階建ての木造建築で、間口が約31mと広く格子造りになっています。門口から入って正面には大きな台所があり、その中は調理場と配膳場とに分かれています。調理器具の並ぶ水屋や生鮮食品を貯蔵する冷蔵所なども見られ、かつての情景が思い起こされました。

角屋
島原角屋は、春と秋にも「角屋もてなし文化美術館」として建物や美術品を公開している。
角屋 - 台所1
台所の調理場には大きな竈が並び、その向かい側に流し台や井戸がある水屋が見られる。
角屋 - 台所2
広さ50畳ほどの配膳場では料理が盛り付けられ、それぞれのお座敷へと運ばれていた。
角屋 - 帳場
揚屋は全て掛け払いで、この帳場で代金や客の好みなどを記録していた。
庭園を望む揚屋のお座敷

続いてお座敷の「網代の間(あじろのま)」へ。網代状に組まれた天井が印象的で、西側の中庭を眺めながら遊宴できる造りになっています。行灯の煙などで煤けた天井や襖が時代を感じさせていました。

奥へ進むと、角屋で最も広い大座敷の「松の間」があります。43畳もの広さがある松の間からは、京都市指定名勝の主庭を眺めることができます。主庭で一際目を引くのが臥龍松(がりょうしょう)。屈曲蛇行した見事な枝振りが白砂に張り出し、美しいコントラストを生み出しています。

島原の歴史と文化を伝える角屋は、3/14(火)まで公開されています。

角屋 - 網代の間
網代の間は角屋で2番目に大きなお座敷で、28畳ほどある。角屋の2階にはお座敷が十数部屋あり、「角屋もてなし文化美術館」の開館期間中に事前予約すれば拝観できる。
角屋 - 中庭
中庭には大きな鞍馬石や、滑車が織部焼で作られた飾り井戸が見られる。
角屋 - 松の間
松の間は、新選組初代筆頭局長の芹沢鴨が暗殺される日の夜に宴会を行っていた場所。酒に酔い、八木邸に帰宅して寝ていたところを暗殺されたと言われている。
角屋 - 主庭
主庭は江戸でも京名所として知られ、『都林泉名勝図絵』に紹介されたり、国貞や広重などの浮世絵にも描かれたりしていた。3つの茶室があり、写真右手が「曲木亭」、その奥に「清隠斎茶席」、臥龍松の左手には「囲の間」がある。

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この記事を書いた人

risato
京都と猫が大好きなライターです。お寺巡りや美術館巡り、ハイキングやマウンテンバイクが趣味です。京都の新たな魅力と楽しみ方を求めて、市内のあちこちに出没しています。