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愛宕山鉄道EC

昭和初期の幻の鉄道、「愛宕山鉄道」の遺構を訪ねて

愛宕山と山麓に広がる清滝一帯は、かつてスキー場や遊園地があり、多くの人で賑わう観光地でした。その成長を支えていたのが愛宕山鉄道です。廃線から70年以上経った今も、愛宕山や清滝ではその遺構を見ることができます。

昭和初期に開通した愛宕山鉄道

愛宕山の山頂にある愛宕神社は、全国約900社ある愛宕神社の総本山です。火伏せの神として古くから信仰を集め、一の鳥居がある鳥居本は門前町として、山麓の清滝は宿場町として栄えました。

昭和初期になると、嵐山から清滝までをつなぐ愛宕山鉄道の平坦線と、清滝から愛宕山中腹までをつなぐケーブル線の鋼索線が開通。スキー場や遊園地、ホテルやテント村などの施設が次々とオープンし、一大観光地へと成長を遂げたのです。

しかし第二次世界大戦の影響で、愛宕山鉄道は不要不急路線として廃止命令が下されます。平坦線・鋼索線共に廃線となり、スキー場や遊園地などの施設は廃業。開通からわずか15年余りで、その歴史に幕を閉じました。

清滝
清滝川に沿って集落が見られる。夏のホタルや秋の紅葉など、四季折々の風景を楽しむことができる。
清滝トンネル
清滝トンネルも愛宕山鉄道の遺構の一つ。線路が敷かれ、平坦線の車両が運行していた。
清滝のバス停
現在の清滝のバス停がある辺りに、かつて平坦線の清滝駅があった。
遺構を訪ね、清滝から愛宕山へ

清滝川にかかる渡猿橋を渡り集落を抜けると、愛宕山の登山口があります。その辺りは鋼索線の清滝川駅があった場所で、駅へと続いていた階段や土台部分の石垣が今に残されています。そこから愛宕山の中腹にある愛宕駅跡まで線路跡は続いていますが、現在は立ち入り禁止に。愛宕神社の表参道から愛宕駅跡を目指します。

鳥居本にある一の鳥居を起点として、愛宕神社のある50丁目まで一丁ずつ分けられています。途中25丁目には茶屋跡が、30丁目には料理旅館の水口屋跡などを見ることができます。参道を進み始めてすぐ、愛宕山鉄道の線路跡が見えてきました。

清滝川駅跡1
清滝川駅へと続いていた階段。裏手には愛宕神社の表参道がある。
清滝川駅跡2
清滝川駅跡は現在空き地に。左右に見られる石の部分が駅の土台跡になる。
愛宕山鉄道 - 線路跡
線路はここから6つのトンネルを通り、愛宕駅跡まで続いている。
愛宕山 - 展望
参道の途中には市内を一望できるスポットがある。
ひっそりと佇む愛宕駅跡

参道をしばらく進むと、柚の里として知られる水尾へとつながる道との分岐点「水尾分かれ」があります。そこを過ぎて、すぐ右手へと続く細い道の先に愛宕駅跡が。建物はすっかり風化しているものの、なんとかその姿を留めていました。

愛宕駅を背に小高い丘を登ると、愛宕山ホテル跡があります。当時の愛宕山ホテルや愛宕駅の2階からは、素晴らしい展望が楽しめたのだとか。今はすっかり木々に覆われています。愛宕山鉄道は長い時間をかけ、ゆっくりと自然に帰っているようでした。

愛宕駅跡1
運行していた頃は地下にケーブルを運転する機械室があり、一階が待合室や改札、二階は食堂になっていた。
愛宕駅跡2
裏手に回ると、清滝川駅から続く線路跡が見られる。当時愛宕山鉄道のケーブル線は、高低差や営業距離で東洋一と言われていたのだとか。
愛宕駅跡3
愛宕駅はすっかり廃墟に。当時、愛宕駅近くには遊園地があり、飛行塔などのアトラクションがあった。
愛宕山ホテル跡
愛宕山ホテルはこぢんまりとした洋式ホテルで、参拝者やスキー客などで賑わっていた。現在は土台の石組みだけ残っている。

基本情報

  • 施設名
    愛宕山鉄道跡
    住所
    京都市右京区嵯峨清滝

この記事を書いた人

risato
京都と猫が大好きなライターです。お寺巡りや美術館巡り、ハイキングやマウンテンバイクが趣味です。京都の新たな魅力と楽しみ方を求めて、市内のあちこちに出没しています。