毎年5月15日、夏らしさを増してくる都大路を彩るのが葵祭。
京都三大祭の一つとして祇園祭、時代祭と並べられますが、町衆が中心の祭であり、華やいだ雰囲気が持ち味の祇園祭、100年以上の歴史があっても、まだ“新しい祭”としてどこか気やすいイメージがある時代祭とは違い、葵祭は京都人ですらあくびが出るほどの(?)厳かで壮麗な雰囲気が漂います。
1400年間、行なわれてきた祭
上賀茂神社・下鴨神社の例祭である葵祭(正しくは賀茂祭)は、その歴史も古く、今から約1400年前、欽明天皇が飢餓・疫病を鎮めるために行なったのが始まりです。
それ以降、応仁の乱以降約200年と、明治維新ののちの十数年間、第二次大戦の頃といくつかの中断はあったものの、1400年の長きにわたり、平安の頃の雅さを偲ばせる、京都を代表する祭礼として執り行なわれてきました。
正しくは「賀茂祭」と言いますが、平安の頃は「祭」と言えば葵祭を指したと言われるほどで、「葵祭」と呼ばれるようになったのは、元禄6年(1693年)、応仁の乱以降途絶えていた祭りが再興された時。行列する勅使や随身、御所車や牛馬までが神社の神紋である双葉葵で飾られていたことに由来します。
葵祭は3つのパートに分けられる
葵祭とはそもそも、天皇が国家の安寧を願って上賀茂神社・下鴨神社の両社へと、勅使を遣いとして御祭文とお御幣物(お供え)を届けるものでした。
その御祭文と御幣物を御所にて勅使に授けるのが「宮中の儀」、両社へ到着した勅使が御祭文を読み上げ、御幣物を奉納するのが「社頭の儀」。平安装束に身を包んだ人々が都大路を行列するのは、「路頭の儀」と呼ばれます。
葵祭ではどうしても路頭の儀が注目されますが、祭りの中心は本来、社頭の儀。天候不良や政治情勢により路頭の儀が中止になったときも、社頭の儀のみは行なわれてきたのです。
現在は京都御所に天皇がおられないため、「宮中の儀」は行なわれなくなりましたが、東京から勅使(宮内庁の方)が訪れ、古来のとおり、行列は京都御所からスタートします。総勢約500名、馬36頭、牛4頭、牛車2基、輿1台からなる一行が、下鴨神社から上賀茂神社へと約8キロにわたり行列します。
行列は大きく、御祭文と御幣物を持つ勅使代(勅使は路頭の儀に加わらないため)の列と、斎王代など女性を中心とした女人列に分かれます。
華やかな平安装束は有職故実にのっとり昔と同じように作られており、着付けには「装束司」という専門の方たちが欠かせません。
葵祭を楽しむポイント
葵祭の頃は、真夏のような日差しが照り付ける日もあれば、風が冷たく感じる日もあり、天候の予想がしにくい時期です。特に行列を見られる場所は日陰がないところも多いので、日傘と羽織れる1枚は必携。
「祭」のイメージから露店などを期待する人がいますが、そういうものは一切ありません。水分、軽食は購入しておくのがおすすめです。
また、暑い日は牛や馬も気が立ちやすいので、カメラのフラッシュや突然大きな音を立てることがないよう注意しましょう。
葵祭は日にちが固定されている祭なので、祭当日が平日で来られないという方は、その他の日、上賀茂・下鴨両社で行なわれている関連する神事を楽しむとよいかもしれませんね。
上賀茂・下鴨両社で行なわれている関連神事
5月1日 | 足汰式(あしぞろえしき):上賀茂神社:5日の賀茂競馬に先立ち、本番の馬場で馬を試走させ、馬足の優劣を決める。 |
5月3日 | 流鏑馬神事(やぶさめしんじ):下鴨神社:道中の汚れを祓い祭の平穏無事を祈り、糺の森に設けられた馬場500メートルを駆け抜けつつ馬上から的を射ぬく。 |
5月4日ごろ | 【斎王代御禊(さいおうだいぎょけい):上賀茂神社/斎王代禊の儀:下鴨神社】 斎王代をはじめ女人列に参加する40人の女性が身を清める神事。上賀茂神社と下鴨神社で交替で行なわれる。 |
5月5日 | 賀茂競馬(かもくらべうま):上賀茂神社:境内の馬場で、左方・右方に分かれた馬が2頭ずつ速さを競う。 |
5月5日 | 歩射神事(ぶしゃしんじ):下鴨神社:直垂姿の射手が弓を鳴らし、天地四方の邪気を祓う。 |
5月12日 | 御蔭祭(みかげまつり):下鴨神社:御蔭山より神馬に神霊を遷して迎えたのち、神馬に向かって東游(あずまあそび)が奉納される。 |
5月12日 | 御阿礼神事(みあれじんじ):上賀茂神社:葵祭に先立ち、深夜に神様を迎える神事。上賀茂神社で最も重要な儀式であり、秘儀として一切公開されていない。 |
5月中旬 | 献茶祭:上賀茂神社:表・裏両千家の家元が隔年で神前に濃茶と薄茶を奉納する。 |
5月中旬 | 煎茶献茶祭:下鴨神社:小笠原流家元が舞殿で神前に煎茶を奉納する。 |
(合)